このブログの中の過去の記事で、いくつか今もよく読まれている記事があります。そのひとつが2007年9月に公開した「あなたがマッチ売りの少女なら?」という記事です。少しだけリライトしてお届けします。
あなたはクリスチャン・アンデルセンのマッチ売りの少女の話を知っていますか?
それは雪の降る大晦日の夜の話です。頭巾もかぶらず、裸足のままで、古いエプロンに入れたマッチを売り歩いていた少女がいました。
あわてて大通りをわたろうとしたときに、馬車がすごいスピードで駆け抜けて靴がぬげてしまったのです。
「マッチはいりませんか?マッチはいりませんか?」
でも少女からマッチを買ってくれる人はひとりもいませんでした。やがて少女は空腹と寒さでついに路地に座り込んでしまいました。そしてマッチを1本取り出すと壁にこすりつけ火を付けました。ほんの少しでも暖を取りたかったのです。マッチをこするとさまざまなものが現れました。おいしそうな料理、温かい部屋、そして最後に現れたのは亡くなった少女のおばあさん。
「おばあちゃん、お願い私も連れていって」
少女はありったけのマッチをすりました。
翌朝、路地で死んでいる少女が発見されたそうです。しかし少女の顔は天使のような微笑みを浮かべていたそうです。
救いのない話なのですがマッチ売りの少女の物語にもしも秘密があるとしたら。もしクリスチャン・アンデルセンが残酷な世界観の中で、ポジティブな何かを伝えたかったとしたら。
こう考えると少しちがう世界が見えてきます。少女は結果的にマッチが1本も売れずに死にました。
夢の中でおばあちゃんに迎えられ、幸せな最後だったかもしれませんが、それでもこの話には救いはありません。しかし、マッチ売りの少女が、実はあの大晦日の日に生還し、その後、経営者として成功し、幸せな億万長者になったとしたら。この物語にはモノが売れない悲惨さが描かれています。もしかしたらマッチ売りの少女は自分達ではないのか?そんなことすら考えてしまいます。
もしクリスチャン・アンデルセンが、マッチ売りの少女の童話を、子供たちに向けたビジネスの教科書として書いたとしたら、この物語から見えてくるものは大きく変わってゆきます。
それは「マッチ売りの少女はなぜ1本のマッチも売ることができなかったのか?」と考え始めることです。
あなたは考えてみたことがありますか?
大晦日に雪が降る中で裸足でマッチを売る少女のマッチ。そこには残念ながら商品の信頼性はありません。雪の中で裸足という姿は少女の信頼性を損ない、同時に少女の売っている商品であるマッチの信頼性も損ねています。このミスは今も多くの会社が犯しています。商品をどうみせるかだけでなく、商品を販売しているあなたや、あなたの会社をどう見せるか?商品がよくても商品は売れません。商品がよさそうでなくては誰も購入してくれません。商品をよさそうに見せるためには、商品だけではなく、販売者もよさそうに見せる必要があるのです。
売られている商品は「マッチ」です。壁にこすって火を付けていることから、1831年に開発された改良型黄燐マッチだと思われます。クリスチャン・アンデルセンがマッチ売りの少女の話を発表したのは1848年ですから、この改良型黄燐マッチが開発されてから17年が経過しています。しかし、この物語は貧乏だった彼の母親のエピソードがベースにあるとした説もあります。この場合、反対に壁にこするだけで簡単に着火できる改良型黄燐マッチは画期的な新製品だった可能性もあるのです。しかし、少女が仕入れて販売しているぐらいですから、いずれにしろ、少女だけが販売しているようなものではなさそうです。つまりライバルはたくさんいて差別化できていない状況なのだと思われます。
ではこの場合にマッチ売りの少女は何ができたのか?それは顧客へのメッセージの伝え方を変えることができたのです。そしてそもそも差別化されていない商品を抱え、そこに伝えるべきメッセージを持っていなかったのが少女のマッチが売れなかった理由です。
少女は「マッチはいりませんか?」と連呼しました。これだけではマッチは売れません。でも今も多くの会社が同じ過ちを犯しています。大企業はそれこそ何十億もかけて「マッチはいりませんか?」とテレビで連呼しているのです。
ではどうするのか?まずメッセージは明確に以下の④つが必要です。
① この製品は誰のためのものか?(ターゲット)
② 誰のどのような問題を解決できるのか?(問題解決)
③ この製品を購入することで具体的に顧客の仕事や生活はどのように変わるのか?
④ なぜ他社ではなく私から購入すべきか(ライバル・差別化)
ではマッチ売りの少女はあの日、あの時に何ができたのでしょうか?少女はおそらく1円のお金も持っていなかったはずです。マーケティング予算はゼロです。チラシ1枚配れません。
あの日、あの大晦日の夜。あの時間に雪の降る状況の中で、そしてこの製品だけで勝負するしかないのです。
さああなたならどうしますか?何ができると思いますか?
マッチ売りの少女の話は遠い昔の異国のエピソードではありません。マッチ売りの少女は御社なのかもしれません。
さああなたも本気で考えてみてください!
マッチ売りの少女が命を落とすことなく、幸せになる穴座ストーリーが始まります。
まずはあの大晦日の夜の局面を乗り越えなくてはなりません。条件は以下の通りです。
販促予算はゼロ、誰もが家路を急ぐ雪が降る大晦日の夜。製品は差別化されていないありふれたマッチ。あなたはみすぼらしい服装に裸足です。
行えることは本当にたくさんありますが、このケースで考えてみるべきことは、何でもないマッチに何らかのコンセプトを与えることです。
商品=製品+付加価値です。しかし、製品を作り変えることは困難で、マーケティング予算ゼロの少女には、包装を行うことすらできません。ここでできるのはおそらくコンセプトを与えることではないかと思います。
ここからアナザワールドヘとご案内します。
マッチ売りの少女はすぐに教会に行きます。おして神父さんにお願いをします。「マッチを一束寄付させていただきます。お願いがあります。これは私が売っているマッチです。このマッチを使う人がみんな幸せになれるように、どうかお祈りを捧げていただけませんか?」と。
マッチは神父の祈りが込められたマッチとなりました。さらにお願いを試みます。「今晩だけ聖歌隊のあの赤い靴と服と帽子を貸してもらえませんか?」と。
そして少女はできるだけ明るい街灯の下で歌を歌います。足を止めてくれた人にこう言います。
「みなさんは今年はいい年でしたか?」
「あまりいい年ではなかったよ!という方のために、お伝えしたいことがあります」
「マッチを1本だけ買ってください」
「このマッチはみなさんの来年の幸せを願い神父さまが心を込めてお祈りしてくださった特別なマッチです」
「このマッチで新年の最初のランプを灯してください」
「そうすれば来年はきっといい年になります」
「幸せのマッチはいかがですか?どこでも買えない幸せのマッチはいかがですか?」
ここまではあくまでもこの日を乗り越えるための緊急避難的な手段です。
本当の勝負はここからです。そしてクリスチャン・アンデルセンは、もしかしたらとんでもないビジネスのヒントをこのストーリーの中に残していたかもしれません。
ところでマッチ売りの少女はなぜ死んでしまったのか?空腹と寒さで眠ってしまって凍死した?いえおそらく違います。少女はおばあさんの幻を消さないためにすべてのマッチを擦りました。これがおそらく少女の死因です。
兵庫県姫路市の地場産業はマッチです。そしてこの地場産業を紹介するホームページにはこんな記載があります。
「1831年にフランスの「ソーリア」と「カメレール」によって、どこで擦っても容易に発火するマッチが開発されました。ただ、黄燐マッチは毒性が強く、殺人や自殺などに使用された事もありました。さらに、移動中の摩擦や衝撃による火災事故も頻発したため、より安全なマッチの開発が期待されていました。」
マッチ売りの少女が発表されたのが1843年です。この年号を覚えておいてください。同じホームページにはこんな情報が掲載されています。
「1850年前後から赤燐を用いたマッチの開発が、ヨーロッパ各国ですすめられていましたが、1852年、スウェーデンにあったヨンコピング社のルンドストレームがリンを含まない頭薬を点着した軸木を小箱に納め、その箱の側面に赤燐を側薬として塗布 した分離型の「安全マッチ」を発明し、特許を得ました。そして彼は1855年、純粋な 赤燐を用いた「スウェーデン式 安全マッチ」を製造し広く販売しました。これ以後、スウェーデンは世界のマッチ工業の首位となっていきました。」
引用: ガンバレ姫路のモノづくり じばさん館
もしこの日にマッチ売りの少女が生還することができたら、自ら黄燐マッチの危険性を体験したことになります。そして安全なマッチをいつか作ろうと決心したかもしれません。
そして物語はこう書き換えられていたかもしれません。
「デンマークで開発された安全マッチは世界のマッチ工業の首位となった。このマッチを開発したのは、デンマークでマッチを売っていた少女。彼女はクリスマスや誕生日など特別な日のための特別なマッチを企画して会社を大きくした後に、その資金を安全なマッチの開発に費やし開発に成功した。億万長者となった彼女は貧しい子供たちの保護施設をいくつも作り、晩年は子供たちに囲まれ幸せな一生をおくったそうである」
マーケティングはすべての人を幸せにする力があります。