「あなたがマッチ売りの少女なら・・・①」をまずお読みください。
さて続きです。
マッチ売りの少女が命を落とすことなく、幸せになる方法を考えてみたいと思います。まずはあの大晦日の夜の局面を乗り越えなくてはなりません。条件は以下の通りです。
予算:ゼロ
時期:大晦日
時間:夜
状況:雪
製品:マッチ
服装:裸足
あなたならどうしますか?
まず行うべきことはマッチの再商品化です。
商品=製品+付加価値です。しかし、製品を作り変えることは困難で、マーケティング予算ゼロの少女には、包装を行うことすらできません。ここでできるのは付加価値を付けることだけです。
一例です。
少女はすぐに教会に行きます。神父さんにお願いをします。「マッチを一束寄付させていただきます。お願いがあります。これは私が売っているマッチです。このマッチを使う人がみんな幸せになれるように、どうかお祈りを捧げていただけませんか?」と。
これでこのマッチは祈りが込められたマッチとして再商品化できます。さらにお願いを試みます。「今晩だけ聖歌隊のあの赤い靴と服と帽子を貸してもらえませんか?」と。
そして少女はできるだけ明るい街灯の下で歌を歌います。足を止めてくれた人にこう言います。
「みなさんは今年はいい年でしたか?」
「あまりいい年ではなかったよ!という方のために、お伝えしたいことがあります」
「マッチを1本だけ買ってください」
「このマッチはみなさんの来年の幸せを願い神父さまが心を込めてお祈りしてくださったマッチです」
「このマッチで新年の最初のランプを付けてください」
「そうすれば必ず来年はいい年になります」
「幸せになれるマッチはいかがですか?誰も売っていない幸せになれるマッチはいかがですか?」
さて、これはあくまでもこの日を乗り越えるための緊急避難的な手段です。
本当の勝負はここからです。そしてクリスチャン・アンデルセンはとんでもないビジネスのヒントを仕掛けていたのです。
ここで質問です。
マッチ売りの少女はなぜ死んでしまったのか?空腹と寒さで眠ってしまって凍死した?いえおそらく違います。少女はおばあさんの幻を消さないためにすべてのマッチを擦りました。これがおそらく少女が死んだ理由です。
兵庫県姫路市の地場産業はマッチです。そしてこの地場産業を紹介するホームページにはこんな記載があります。心して読んでください。
「1831年にフランスの「ソーリア」と「カメレール」によって、どこで擦っても容易に発火するマッチが開発されました。ただ、黄燐マッチは毒性が強く、殺人や自殺などに使用された事もありました。さらに、移動中の摩擦や衝撃による火災事故も頻発したため、より安全なマッチの開発が期待されていました。」
さらにこの作品が発表されたのが1843年です。この年号を覚えておいてください。同じホームページにはこんな情報が掲載されています。
「1850年前後から赤燐を用いたマッチの開発が、ヨーロッパ各国ですすめられていましたが、1852年、スウェーデンにあったヨンコピング社のルンドストレームがリンを含まない頭薬を点着した軸木を小箱に納め、その箱の側面に赤燐を側薬として塗布 した分離型の「安全マッチ」を発明し、特許を得ました。そして彼は1855年、純粋な 赤燐を用いた「スウェーデン式 安全マッチ」を製造し広く販売しました。これ以後、ス ウェーデンは世界のマッチ工業の首位となっていきました。」
引用: ガンバレ姫路のモノづくり じばさん館
もしこの日に生き残ることができれば少女は、自ら黄燐マッチの危険性を体験したことになります。そして安全なマッチをいつか作ろうと決心したかもしれません。
もしかしたら歴史はこう書き換えられていたかもしれません。
「デンマークで開発された安全マッチは世界のマッチ工業の首位となった。このマッチを開発したのは、デンマークでマッチを売っていた少女。彼女はクリスマスや誕生日など特別な日のマッチを販売して会社を大きくした後に、その資金を安全なマッチの開発に費やした。又、彼女は貧しい子供たちのための施設をいくつも作り、晩年は子供たちに囲まれ幸せな一生をおくったそうである」
マーケティングはすべての人を幸せにする力があります。
(了)