「お父さんじゃんけんしよう!」
小学4年生の息子が何だかうれしそうにやってきました。
「じゃんけんぽん」
私がグー、彼がチョキ。彼の負け。
ところが彼は私にこう言いました。
「残念でした!お父さんのまけー」
「どうして?」と私が聞くと彼はこう言いました。
「このじゃんけんはね、負けた方が勝ちってルールなんだ!」
彼はうれしそうに大きな声で言いました。
「そんなルールあるかよ!」と私は笑いながら彼に返しましたが、
そんなルールは実はありです。
人が決めたルールの中で、人を評価したり、
自分を評価することは、正しいようで誤っています。絶対に。
特にビジネスの世界では勝敗のルールは自らが決められますし、
自らが決めるべきです。
例えば市場シェアではなくマインドシェアへ
売上ではなく利益へ
従業員数ではなく従業員の幸福度へ
顧客数ではなくファンの数へ
勝敗の判定を世間から自らへと。
私たちはその基準を変えることができます。
そのルールの中では大企業にだって負けることはありません。
確かに世間から評価されやすい評価基準は存在します。
社員3名の会社よりも社員100名の会社
売上高5千万円の会社よりも100億円の会社
非上場企業よりも上場企業
しかし人から凄いねと言われることだけを追求すると、
いつか心を失い、自分を見失います。
数を追えば自分が本当はやりたかったことを捨て、
自分はやりたくなかったことを従業員たちにさせ、
夢や信頼ではなく金や条件で人が集まる。
そんな世界がやってきます。
そして人間は本当に狭い視野でしか世界を見れません。
自分の会社がそうなら、すべてが同じだとしか思えません。
人を裏切れば、人に裏切られるのではないかと一生心配するはめになるのと同じように。
私は私から見て幸福とは思えない経営者をたくさん見てきました。
もちろんそれは私の勝敗のルールの中でのことですが・・・
そして私は息子に大切なことを確認しました。
「じゃあさ、お父さんがグーでお前がパーだしたらどうしたの?」
息子はちょっと大人びた、ため息をつきながらこう言いました。
「だーかーらー、このじゃんけんはね。負けた人が勝ちなの、
僕がパーだしたら僕の負け、お父さんの勝ちに決まってるじゃん」
私は息子の頭をくしゃくしゃになでました。
「おまえはただしい」
勝敗のルールは自分で決められる。
でもそれはいつも自分が勝ったことにするためじゃない。
自分が勝敗のルールを決めたとしても、だからこそ負けは負け。
世間が認めようが、何をしようが負けは負け。
その負けを認めないかぎり幸福な勝ちなんかやってきません。
自分の勝敗のルールに忠実であれば、勝っても負けても明日頑張れる。
私はそう信じています。
「じゃあ行くぞもういっかいじゃんけんだ」
「じゃんけんぽん」
「また負けた―!」笑